momojirou

ヘイト&ピース(^0^)y

朝鮮人の思考パターン

証なき歴史研究

関川: ‥‥先方(韓国人)が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないことは認識しておかないといけない。
古田: 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ。‥‥日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。‥‥さらに、「資料をみせてくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。
関川: 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。‥‥
古田: 民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。
櫻井: それは韓国の大学の歴史研究者ですか。
古田: イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。要するに「自分が正しい」というところからすべてが始まる。実はこの「自分が正しい」という命題が実証不可能なんです。この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想にほかなりません。
櫻井よしこ・関川夏央・古田博司「韓流“自己絶対正義”の心理構造」
(文藝春秋『諸君!』2006年4月号 69~70頁)

愛情はないのかーっ! 良心はあるのかーっ! www

何を言ってるんだかwおまエラには、そんなもの一片足りとも持ち合わせてないわ!!!

 韓国の「民族史学」は実証主義から離れ、「正しい時代精神」というイデオロギーを主張するものである。彼らにとって「実証」とはイデオロギーを証明するための作業にしか過ぎず、これに反する歴史事実はあってはならないこととなる。彼らの「実証」の意味は、われわれが思うところと余りにもかけ離れている。
日本人がこの「民族史学」に実際に接すると違和感の大きさに驚き、さらに韓国人側の自信に満ちた態度に逡巡するだろう。民族主義を追求する韓国の歴史学と、歴史事実を追求する日本の歴史学との違いはあまりにも大きい。これまで多くの日本人は日韓に波風を立ててはならないと敬して遠ざかり、一部の日本人が日韓の友好のために土下座しつつすり寄った。しかし最近は前節のように真っ向からぶつかろうとする人が出てきている。この方向性はさらに促進・拡大してほしいと願う。
ところで韓国の「民族史学」はこれからどこに向かうのか。実証なき「正しい歴史」研究をいつまでも続けていくのだろうか、実証主義的研究が主流になることはないのだろうか、ひょっとしたら実証のないことでは更に抜きん出た北朝鮮の「革命伝統」という歴史に融合していくのだろうか、‥‥‥興味をもつところである。

実証なき歴史研究
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuuichidai

これ読んだら、どう考えても話し合いなんか無理。

付き合わない、相手にしない、関わらない、無視するのが一番いいわ。

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